今月
学生時代の友の住む
長野に行ってきました。
つもる話に遅くまで花を咲かせた翌日は
以前から行きたかった「無言館」を一緒に訪ねました。
上田から別所線に乗り
塩田町という小さな駅で降りて
バスで10分ほど
町を見下ろす
静かな森の中に
「無言館」はありました。
「無言館」は 正式な名前を
「戦没画学生慰霊美術館 無言館」といいます。
この美術館には
第二次世界大戦で 帰らぬ人となった
若き画学生や美術教師 市井の画家や彫刻家 職人たちの作品と
恋人や家族に宛てた手紙や葉書が
展示されているのです。
出征の前夜
あるいは戦地で
あるいは死を待つ床で
彼らが描いた
愛するひとたち
愛するふるさとの姿
蜂谷清 「祖母なつの像」
これは22歳で突然召集された俊才の蜂谷さんが
出征間際までかかって
可愛がってくれたおばあさん なつさんを描いた作品です
もうこんなふうに
ばあやんをかけないかもしれないから
おばあちゃん子だった蜂谷さんがそうというと
なつさんは 黙って涙をこぼしたそうです
ほかにも
家族や親兄弟 友人たちが
そのひとの形見として
あるいは
再び会える日のために
戦火の中を
守り抜いてきた作品が
たくさん展示されています。
キャンバスの中に描かれた
恋人
妻
姉
妹
年老いた父や母
兄弟
ふるさとの山河
突然 召集令状を受けた
二十代三十代の青年画家たちが
どんな思いで
最後の絵を描いていったのか
想像するだけで
胸がつぶれる思いがしました。
今日まであたりまえだった
親や兄弟と
妻や恋人と
友や仲間とのくらし
すみなれたふるさとでの暮らしが
ある日突然
できなくなる
それが戦争というものなのだと
絵の中の人々の顔に
現れたいたみと悲しみが語っている気がしました。
これは新館の前に置かれた「絵筆の椅子(ベンチ)」という作品です。
大きな背もたれの部分には
画壇で活躍している画家や 美術学校で学んでいる学生さんたちが提供した
90本の絵筆や刷毛が埋め込まれているそうです。
このセメントの椅子の裏には
こんなメッセージが刻まれています。
画家は愛するものしか描けない
相手と戦い 相手を憎んでいたら 画家は絵を描けない
一枚の絵を守ることは「愛」と「平和」を守るということ
2005年
残念なことに 無言館の前に置かれている 画学生たちへの慰霊碑に
ペンキがかけられるという事件があったそうです。
わざわざ同じようにペンキで汚したこのオブジェからは
戦争によって若き日に家族と人生に幕を引かざるを得なかった画家たち
そして 大切な家族をなくした人々の 無念さと悲しみを忘れるなと
無言の声が響いてくるような気がしました。
原田 新「妹・千枝子の像」
絵を描くことが好きな人が 自由に絵が描ける世の中
恋人や妻 子や親 兄弟姉妹 そして友
愛するものたちと あたりまえに
笑って 食べて おこって 話して 一緒にいられる世の中
住み慣れた町で 山や川の姿に
木々の葉を揺らす風や 川の表にこぼれる日ざしや 美しい夕日に
ぼんやり見とれて 家路につく
そんなふつうのくらし
そんな暮らしを 私は守りたい
2015年7月15日
ニュースをきいて 改めてその思いを強くしました。
絵筆のベンチの隣りに
平和への願いを投函するポストがありました
みなさんは
どんな思いをつづりますか