音・旅・自然

いろいろな形の支援がある

お彼岸

一度自分の目で東北を見たいんだという友人たちが
休みをとって 夜行バスに揺られ
わざわざ関西からきてくれました。

一緒に南三陸町にいってきました。

お彼岸の中日ということもあって
防災対策庁舎前でも
たくさんの方が 入れ替わり立ち代わり お焼香していました。

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庁舎の周辺は
がれきなどは ほとんど片付けられましたが
そのぶん 家々の土台だけがむき出しになって
この風景の不自然さを感じます。

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ちぎれた線路や 流された橋の残骸
病院など大きな建築物は まだまだそのままです。

この荒涼とした風景は 
津波の 想像を絶する規模を見せつけ
 
そこに立つだけで
一年経った今も
言葉を失います。

お彼岸6

進んだ作業ももちろんあるのでしょうが
この光景を見ると まだまだ
破壊された郷土の 片付けや整理の段階だという感じがします。

私たちもお焼香をし
庁舎前をあとにしました。

このあいだ訪ねた時に
復興商店街ができたよときいていたので
立ち寄ってみることにしました。

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津波で店を流された商店主さんたちが
寄付でつくられた長屋風のプレハブ店舗に入居して
新しい商店街をつくりました。

名付けて「南三陸さんさん商店街」

寿司屋さん 蕎麦屋さん ラーメン屋さん ケーキ屋さん 食堂
なるほど三陸の かまぼこ屋さん 海苔屋さん 魚屋さん
そして 八百屋さん 酒屋さん 写真館や 整骨院 電気屋さんまであります

いろいろな店が集まっていて 大きな休憩所もあるためか
地元の家族連れの方や 町外からとおぼしきお客さんで賑わっていました。

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いたるところに貼ってある「南三陸キラキラ丼」!?

南三陸町のお店の共同企画で
各店で工夫を凝らした海鮮丼がいただけるみたいです。
キラキラは どの店の丼にも入っているイクラのキラキラでしょうか?

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ちょっと行列して松原食堂さんへ。

お店に入ると 寒いとこお待たせしてすみませんでしたねと
給仕の方が丁寧に声をかけくれました。

そういえば その前に入った店でも きてくれでありがとうございます とか
全国のひとたちからお世話になってね とか
という言葉をかけられました。

私たちも 奮発してキラキラ丼!

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おいしそう!

カウンターで 親方から出店までのお話や
フードコートができて みんなで相談したり話をする場所ができたという話
5年経ったらこの場所は更地にして戻さなければいけない
という話をききました。

仮設住宅にしても この場所にしても
どうしてそんな短い年限で でなければいけないんだろうと思いました。
お店と生活を軌道に乗せるだけでも
数年あっという間にすぎてしまうだろうに。

カウンターにこんなお酒がおいてありました

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南三陸町はタコがおいしいことでも有名なんです。
魚屋さんで試食した 吸盤が3センチもあろうかというタコ。
やわらかくておいしかった・・・。

さて、食堂を出て
お店の方達といろいろなお話しながら 名店街をのぞきました。

お土産に買って来たのが
おいしそうなロールケーキ。

よくみると 箱に
『復興絆ロール』と名前が。

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なんでも 震災のとき
歌津の「パティスリーくりこ」の店長 三浦さんは
お店の冷蔵庫にあった 1000本のロールケーキを
少しでも元気になってもらえればと
すべて南三陸町と気仙沼の避難所に届けたのだそうです。

後日 地元の人たちに ほんとうに嬉しかった またぜひつくってね と言われ
逆に元気づけられ 絆ロールという名前で再登場させたらしい。

これはたまごの優しい味のする
ほっぺが落ちそうなロールケーキでした(写真は小倉生クリーム)

箱には こんな言葉も書かれていました。

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「おらほさ きてけさいん」(私たちのところに きてくださいね)

支援と言っても
いろんなかたちがあっていい

そこにでかけて
地元のお店で何か食べてくるのも

インターネットでその土地のものを注文するのも

友だちがいたら はがきを書いたり 電話をしてみる

その場所のこと 考えるだけだって いい。

思うこと
関心を持つこと
それが大事

友だちたちも喜んでくれて
お店の人たちも嬉しそうだった
お彼岸の光景を見ながら思いました。

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