今年のゴールデンウイークは
私の人生の中でとても大きなことがありました
と書きましたが
やっと
それについて書くことができるタイミングがきました
この4月末
父が他界して7年
父が生前詠んだ短歌を
やっと一冊の歌集として出版することができました。
あとがきに
書いたのですが
私は父との関係に
こどもの頃から
ずっと葛藤がありました。
機嫌がいいかと思えば
突然声を荒げ
罵声をあびせる父が
怖かったし
いつも誰かと比較し
ありのままで認めてくれようとはしない父に
憤りと悲しみを感じてきました。
そしていつとはなしに
父に対して距離を置き
早く家を出たいと思うようになっていました。
久しぶりに実家に帰った学生時代のある日
母が一冊の小さな黄ばんだノートを見せてくれました。
そこには
新聞の歌壇に載った
若き日の父の短歌の切り抜きが
きれいにスクラップされて並んでいました。
読んでいくとこんな歌がありました。
「ののしられて帰りし父と知らずして児はやはらかき体温を伝ふ」
家であんなに偉そうにしていた父も
外の世界では
ののしられ みじめな思いをしながら
帰ってきた日もあったのだ
大正の最後の生まれながら
看護婦の夫として
帰ってくれば
家事や育児も分担していた父
この歌を読んで
口数が少なかった父の
若き日の姿を知りました。
日々の仕事の中で
味わっていた
喜びや悲しみ
そして惨めさ
ふるさとの自然と
家族とのささやかな時間が
慰めになっていたことを
知りました。
父が亡くなり
お葬式も一周忌も終わった後
父の歌集を出したいと思いました。
それは短歌を作ることを
日課にしていた父の
果たせなかった夢でもありました。
しかしなかなか腰を上げることができず
その後 大震災があり
翌年 きっと一番心待ちにちていただろう母も他界し
気がつけば七年もの歳月が過ぎてしまっていました。
昨年からもう一度奮起して
父の歌を集め 読み返しました
試行錯誤しながら
いろいろ励ましていただきながら
やっとのことこの春 完成することができました。
そこには
父の若き日の貧しい中の結婚と子育てだけでなく
戦争の捕虜としてのシベリアでの強制労働
老いてゆく日々の寂しさや夫婦のいたわりなど
知らなかった若かりし日
老いてからの父の日々も
詠われていました。
父の歌集を編みながら
今まで知らなかった父と
出逢い直した日々でした。
父が亡くなって七年目
父の歌集を出すという自分との約束を
やっと果たすことができました。
この歌集を通して
私のように
父親という存在の心の内を
また違った角度から想像するきっかけになり
親の生きてきた時代や人生に
想いを馳せるきっかけになれば嬉しく思います。
歌集はFacebookで一足先に報告したところ
たくさんのおめでとうとお問い合わせをいただいて
恐縮しています。
いただいた感想を
感謝とともに読ませていただいております。
このようなことでできあがった歌集ですが
ご興味がある方は
どうぞブログフォームからお問い合わせください。
やっと
ブログでもみなさんに報告できました。
みなさま
ほんとうにありがとうございました。