私がクリスタルボウルと出会ったその宿
Healing center of Sedona は
建築家で精神世界にも造詣が深かったポールというオーナーが自ら設計し
友人たちのべ800人(だったかな・・・)が何年も手弁当で通って建てたものということでした
ポールは前年亡くなられたということでしたが
彼の指名を受けた人々によって
大切に営まれていました
建物自体
もう随分古くなっていて
夜中にミッキー(私は勝手に忠太郎と呼びました^^;)が遊びにきたりもしましたが
夕方になると
どこからともなくすいかずらの甘い香りが漂い
共用リビングのある3階のバルコニーからは昇る大きな月が見えました
一人でバルコニーに出たある夜
月を見ていたらいつのまにか「浜千鳥」を口ずさんでいました
「あ~おい~ つき~よの~・・・」と歌いながら
月の中に その春養護学校を卒業した生徒さんの顔が浮かびました
私の歌が大好きで
歌うといつも涙を流して聴いてくれた彼女
終わるといつも盛大に拍手をしてくれた彼女
その彼女の顔が
セドナの金色の月の中で笑っていました
教師だったころ
私は生徒のみんなから数えきれない贈り物をいただきました
中でも
養護学校で出会った生徒のみなさんには
自分自身の新しい可能性を教えてもらい
励ましてもらいました
最後に3年間を一緒に過ごした彼女のおかげで
私は歌を歌うことが好きな自分を思い出し
歌や音で喜んでもらえるって幸せだなと思うようになったのです
あの出会いが
確かに今の自分につながっていると思います
泣きながら歌っていると
いつの間にかバルコニーには
その夜 宿に滞在していた人たちが集まってきていて
異国の言葉で何やら歌いながら泣いている
変な日本人の肩を抱いて
一緒に月を眺めてくれたのでした
忘れられない
セドナの夜でした
追伸
「Healing Center of Sedona 」 は老朽化のため
私の訪ねた2年後の2008年2月に営業を終了し
あの思い出の建物も残念ながら取り壊されたそうです。
私を含め 多くの人々にすばらしい出会いと集いをくれた
ポールとHealing Center of Sedona に
感謝をこめて