音・旅・自然

マウントシャスタの贈り物(マウントシャスタ その3)

前のブログで
急にシャスタから雑感になって
どうしたの~と思われた方もあるかと
 
大木

実は今回
シャスタに向かう前に
サンフランシスコ郊外のリトリートセンターで
アートセラピーのワークショップに参加したのですが

そこで
それまで蓋をしていた 父の死をめぐる喪失感や寂しさが
日を追って広がり
自分でもどうしようもないほど
気持ちが沈んでしまったのです

でも
ありのままの自分でいることを
何よりも大事にしてくれる先生と場に支えられて

自分の感情を表現し
感情のままにそこにいてみることにしました

泣きたくなったら泣き 
一人でいたくなったら 一人になり
ふさぎ込みたくなったら ふさいだままでいる

ふだんなら
周囲に合わせちゃったりして
なかなかできないことですが

ここに今来たのは
この気持ちをしっかり感じるためだったのかもしれないと思えてきて
思い切りどんよりとすごしました

首たれ草

(ごめんなさい お花さん)

そんな気持ちをひきずったまま訪れてしまったのですが

シャスタドライブ中

町に近づくにつれ見えてきたシャスタは
まるで白いローブをまとった
美しい女神のようでした

シャスタの雪は
赤裸の 
ひりひりする肌でたどり着いた私を
優しく包んでくれる
白いおくるみのようだと思いました

シャスタ夕暮れ前

雪って不思議です

雪の中をどんどんどんどん歩いていると
からだいっぱいにあふれていた哀しさや嘆きが
軽くなっていくのです
まるで雪が哀しみや嘆きを吸い取ってくれているように

そしてキャッスルレイクという
冬の間だけ 数メートル張った氷の上にできる雪原に寝転んで 青い空を仰いでいる時
わけもなく嬉しくてたまらなくなりました

それは
例えて言えば
真新しい純白のおくるみに優しくくるまれ
お母さんに見守られているような幸福感でした

愛されている・・・

雪と氷におおわれた大地が
まるでふかふかの大きなおふとんのようでした

そして大地はその大きな腕を広げて
ふんわりと私を抱きしめてくれている・・・

私は
いつのまにか元気になっている自分を感じました

紫草

今回の旅は私にとって
前半後半
どちらが欠けても成り立たない
浄化と再生の旅だったようです

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