出逢い

親の世代が体験してきたこと〜『シベリア抑留記』

自分の親の体験を、自分はどれだけ知っているだろう。

たまに実家に帰っても
夕食を食べながら近況を話す程度

へたをすればあわただしく頼まれた用事をすませるだけで
帰ってきていました。

親の人生や生きてきた時代をたどる。

父の短歌を読み返していて
晩年になるに従ってでてくるようになった「シベリア」という言葉。

生前はほんのわずかしか語らなかったシベリア抑留体験。

父という人がどんな体験を生き抜いてきたのかもっと知りたくなって
この週末も何冊か本を読みました。

その中の一冊がこのおざわゆきさんの『凍りの掌』です。

凍りの手

これは おざわさんのお父さんが思い出し思い出し話してくれた
「シベリア抑留」の記録です。

おざわさんのお父さんは、1945年、終戦の年の2月に19才で徴兵され、満州へで8/15を迎えました。

しかし当時
「満州(現在の韓国北部〜北朝鮮)」やソ連との国境付近で終戦を迎えた日本兵たちは
そのまま捕虜としてソ連に連れて行かれ
以後何年にもわたって、極寒のシベリアで過酷な労働に従事されたのです。

シベリアに抑留された日本人は76万人以上と言われているそうです。

飢えと寒さと過酷な労働の中で
多くの人々が帰国もかなわず命を落としていきました。

また 帰国できた抑留者も
ソ連帰りと呼ばれ やっと帰った祖国日本でさまざまな差別を受けるという
二十三重の苦しみを味わったそうです。

父はおざわさんのお父さんと同い歳でした。

招集されたのも同じ19歳。
終戦を迎えた場所も抑留の時期もほぼ同じ。

驚きながら、父の体験を聴いているかのようにこの作品を読みました。

おざわさんの絵は優しいタッチですが

そこにはシベリア抑留と強制労働の実態だけでなく
国内での戦時下の庶民のもの言えぬ生活
収容所でも続いた日本の軍隊式のの暴力と上下関係 密告や吊るし上げなど

「戦時下」という枠組みがどれほど不条理な暴力を許し 
人の精神状態を狂わせるのかが
つぶさに描かれていました。

私の父も晩年に近くなるまで
ほんとうにぽつりぽつりとしか
シベリアの体験を話しませんでした。

それには 思い出したくないほどの過酷な状況や
帰ってこれなかった仲間への申し訳なさ
さまざまな理由があったのだろうと思っています。

父の書いたものの中に、こどもたちにはあの時代を二度と体験させてはならないという文章がありました。

生きて還った父がどのような思いで帰国後の時代を生き、私たちを育ててくれていたのかを改めて感じました。

シベリアから帰国できた人々は、現在生きていれば80歳代の後半以上。
生存者は一割以下だそうです。

戦後70年の今年、戦争を体験した高齢の世代が、日本のこれからに危機感を感じ、これまでになく自分の体験を語っておられる気がします。

親の人生を知ることで、どれほどかすかな可能性の連続の中で、自分が今生きているのかにも気づきました。

みなさんももし親御さんがご健在なら

少し時間をとってでかけて

お話を聴かせてもらうのはいかがでしょう。

長くなりました^^